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なぜ香港が「台湾化」しているのか?

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中国、台湾、香港は同じ中華圏であるのにもかかわらず、それぞれ異なる文化を持ち、歴史的に深い関わりを持っています。物理的な距離は近いですが、精神的な距離は遠く長い間”仲の悪い隣人”でした。ですが、中国側にいた香港が台湾と近づきつつあります。長年疎遠関係だった香港と台湾に何が起こったのでしょうか。

まず簡単に香港と台湾の歴史について説明しましょう。

1:香港の歴史

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香港は元は中国の都市ですが、アヘン戦争後イギリスの植民地になりました。その後、1987年に中国(中華人民共和国)に返還されました。つまり、中国の都市に戻りました。ですが、中国の共産党思想と違う状態で都市がイギリスによって長期間維持されていたため、中国に簡単に迎合できるとは考えられませんでした。今でもイギリス統治時代の影響が色濃く出ており、学校の授業も英語で行なわれているところがほとんどなので英語が得意な人が多く、車もイギリスと同じ左側通行・右ハンドルです。
イギリス連邦系の国との結びつきも強く、インド、カナダ、シンガポールなどとの人の行き来が非常に多いです。

そのため香港は「特別行政区」とされました。そのため、通貨など香港独自のものが存在しています。さらに中国人と香港人は行き来するのに許可証が必要になります。中国に返還されたといっても、中国本土とは法律・規則が異なる「一国二制度」になっているため、本土の人は許可が無いと香港に行くことができません。また、香港が掲げている旗は国旗ではなく「区旗」です。
*一国二制度とは「1国(中国)の中だけど異なる2制度(2つの政府)がある」

2:台湾の歴史

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台湾も、元は中国の都市でしたが日清戦争後の1895年から、太平洋戦争後の1945年まで日本の統治下にあったため日本の影響を強く受けています。そのため台湾では日本語を話せる人が多く、ホテルや観光地などでも思った以上に日本語が通じます。日本語由来の外来語も多く定着しており、「ありがとう」はそのまま通じますし、タクシーの運転手は「うんちゃん」だったりします。また、日本のドラマやアニメなどが放送されており、台湾の人たちは日本の情報を沢山知っています。

日本が敗戦後、台湾は中国に返還されましたが政治的な部分が理由で離反し、分離独立を目指しました。しかし、中国が「台湾は中国の一部」として独立を認めず未だにどっちつかずの状態です。経済も政治も中国とは別の国となっていますが、他の国が中国に遠慮して公式には台湾を独立した国と認めることが出来ないという状態でもあります。台湾と良好な関係を築いている日本は「公式には国と認めてないが、友好的な状態」といったところでしょうか。

3:香港と台湾の距離が近づいた要因

香港と台湾が接近する要因となったのは若者の学生運動でした。かつては日本でも多く見られたことを覚えています。若者の一体となった熱気やパワーは国の将来を動かすほどの力があったようです。

香港と台湾が接近する直接の要因になったのは2014年に起きた台湾のヒマワリ学生運動と、香港の雨傘運動という2つの若者・市民の大衆行動だった。その結末においては、運動として台湾は勝利し、香港は敗北するという対照的なものになったが、双方の若者・市民との間に「連帯感」を築くのには十分すぎる強烈な共通体験だった。数カ月早く起きたヒマワリ運動の展開は香港の若者たちを大きく刺激し、雨傘運動の期間中には台湾から多くのヒマワリ運動のリーダーたちが香港に駆けつけ、その運動のノウハウを伝授したとされる。台湾では、香港の敗北に対して、「今日の香港、明日の台湾」という流行語が生まれ、中国に取り込まれるリスクを訴える論拠になった。
出典:nippon.com

今、中国で一般的に使用されているのは「普通話」と呼ばれる言語です。しかし、香港で基本的に使用されているのは「広東語と英語」です。普通話話者は広東語をほぼ理解できません。逆に台湾では普通話が公用語となっていますが、「繁体字」という難しい漢字を使用しています。
一方中国は「簡体字」と呼ばれる、簡略化された漢字を使っています。例えば、台湾では「謝謝」、大陸中国では「谢谢」と表記します。
今まで話すこともしなかった香港と台湾は学生運動によって言葉が通じない中、お互いの意志を伝え合うことで距離が縮まりました。それは香港社会と台湾社会にも影響を与えました。

香港返還後、それまでは広東語主流の香港社会において、対中ビジネスの必要性に応じた学校教育における「普通語」(北京語)の推進によって、香港人の普通語能力は格段に向上した。そのため、台湾の人々とのコミュニケーションで、広東なまりの普通語と、台湾なまりの「国語(台湾での普通語の呼び方)」を使って、それなりに会話ができるようになった。この点は両者の協力関係の構築において大きな役割を発揮したと言えるだろう。

今年3月末、台湾の中央研究院社会学研究所の主催で「ヒマワリと雨傘後の台湾・香港の社会政治変動比較検討会」というシンポジウムが開催された。そこには、台湾、香港の研究者や活動家が同じ言葉で和気あいあいと語り合い、お互いの社会状況を紹介しあう姿があった。恐らくは10年前であれば、会話には英語が混ざり、香港人の普通語も聞きづらく、もっとぎこちないものになったのではないだろうか。そして、このシンポジウムでも主に議論されたのは、本土化や対中関係における「香港と台湾の近接性」だった。
出典:nippon.com

4:香港と台湾のアイデンティティーの変化

注目すべきは香港と台湾にはアイデンティティーの変化です。自分自身のことを中国人ではなく、香港人や台湾人と称する人の増加が台湾の政治大学選挙研究センターや香港大学民意研究プロジェクトの調査により判明しました。昨今の中国は「祖国」と思える対象ではなくなっている ということでしょうか。

台湾の政治大学選挙研究センターの調査では、1992年に調査を始めた時は「中国人」「中国人であり台湾人」とする回答が全体の4分の3を占め、「台湾人」との回答は19%に過ぎなかった。それが2015年には「台湾人」という回答は60%を超え、「中国人であり台湾人」が33%、「中国人」が3%になってしまった。
一方、香港でも香港大学民意研究プロジェクトの調査(2016年6月)によれば、自身を「香港人」と考える人は67.0%(2006年調査では49.9%)であったのに対し、逆に「中国人」と称する者は30.7%(2006年調査では49.5%)に達した。アイデンティティーの面でも「若者の中国離れ」が着実に進行しており、香港アイデンティティーは、台湾アイデンティティーの動きを10年遅れで追いかけているように見るのが自然である。
出典:nippon.com

5:まとめ

中国側に身を置いていた香港で蔡英文政権が誕生し、中国と仲違いしている台湾とつながりつつあることは世界的に注目すべきことではないでしょうか。香港の雨傘運動は「香港は香港、中国とは違う」という信条を抱く若者を多く生み出しました。台湾の愛国心に近いものが香港にも生まれています。こういった学生活動が様々なところに飛び火し、若年層から中年層、さらに国全体に影響を与えていくでしょう。これらの若者達が将来、中国大陸内でどういう未来を作っていくのか楽しみです。

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